ついこの間まで最高気温が30℃を超えていたデリーも、秋の気配です。
昨日の最低気温は13℃、最高気温は28℃と新聞の天気欄に。
一日の気温差が大きく、朝晩はかなり涼しく感じます。
インドの家は、全体が石造り、床も石、天井は高く、暑さを極力逃がす造りのため、気候が一旦涼しくなると心もとないくらいです。
夏は外が40℃台後半であっても、家の中は10℃以上も低く大変助かっていたものですが・・・。
我が家はインドの家では「いい家」という、「陽が直接室内に入らない」造り。
インドのいい家の条件=日当たりが悪い、なんだそうです。
夏はこれでいいのですが、夏の暑さが厳しいのにもかかわらず、冬の冷えも一応ある、というデリーでは、それが本当にいい家なのか・・・?と疑問に。
朝晩は寒いし、じっとしていると石造りの床の足元から冷えてきます。
さらに恐怖はシャワー。
ギザという、電気式の給湯器で水を温めるて使うのですが、冬はこれが余り温かくならず、しかもギザの容量によって、使えるお湯のリミットが。
バスタブにお湯を張ってゆっくりと浸かる、という事は不可能で震えながら体を拭く、という日々になります。決して大げさではなく・・・。
この冬は、バス・ルームにヒーターを、持ち込むか、一番大きなサイズのゴミ・バケツを用意して子供はそれに浸からせ、大人は足湯をするか、と何らかの対策を取らねば、と考えています。
そんな、エアコンとは無縁の秋の夜長、ひざ掛けをかけて、DVDで映画鑑賞。

日本で見逃していた「戦場のピアニスト」
やっと観ました。
ナチスの迫害により次々と降りかかる不幸に翻弄されながらも、生きる望みを失わなかった精神力には本当に感動しました。
「不幸な出来事」自体、私が今ここで想像できるようなものではなく、家族を失い、食べ物、飲み水もなく、どこに敵がいるか分からない中、行くあてもない、いつ死んでしまうか、あるいは殺されてしまうか、という状態なのです。
その中でも、音楽への並々ならぬ情熱が彼を生き延びさせた、と後に戦後生まれの息子さんが語っています。
何かに対する情熱が人間が生へと駆り立てるのですね。
また、生き延びて、なおかつ、精神的にも健康に戦後も音楽家として再び活躍して天寿を全うした、その強さには驚きました。
不幸な出来事のために、夢ややりたかった頃を諦めざるを得ないことはよくあることだと思いますが、彼の場合は情熱がそれを乗り越えさせたのでしょうか。
平和な世の中であれば、さほど必要に感じない「情熱」、むしろ、何事も程々にを日本の社会はよしとしてきたのでは、とさえ思います。
勿論、戦争など、決して繰り返してはならない事です。
が、何があっても生きる事への望みを失わない強さを子供達に身につけて欲しいと思いました。

これも見逃していた1本。「名もなきアフリカの地で」。
「戦場のピアニスト」と全く同じ時代、祖国ドイツを間一髪で逃れてアフリカに渡ったユダヤ人一家の話です。
日本でこれを観ていたら、妻と子が初めてアフリカの地を踏んだ場面で、欧州とのギャップを映画の中の二人と同じように感じたのだと思います。
が、駅の混沌とした雰囲気など、インドとどことなく似ていて、親近感すら覚えて思わず苦笑してしまいました。
彼らも、ドイツに残った親兄弟を失いつつも、アフリカの地に徐々に馴染んで暮らしていましたが、戦後はドイツに帰る決意をします。
この決意をする上でも様々な葛藤があったことを考えると、自分の日ごろの悩み(たいしてないですけど)など、何でもないことに思えますね。

この2本の映画の前には、「白い巨塔」(昭和バージョンではありません)を観ていました。
この中で、主役の「財前教授」がポーランド出張の際、空いた時間にアウシュビッツの強制収容所を訪れるシーンがありました。
ドキュメンタリー以外のドラマなどにロケの許可が下りたのは世界初なのだとか。
人の命を救う筈の「医師」が人体実験という名の殺戮を行っていたという言葉が、このドラマのテーマと絡んで印象的でした。
この時代の人体実験によってドイツの医学は格段の進歩を遂げたと聞いた事があります。事実だとしたら、本当に恐ろしく、皮肉なことです。
インドの映画館では、日本より早くハリウッド映画が封切られる事もあるようですが、今は日本より少し遅れて「チャーリーとチョコレート工場」が来ています。
観に行く予定で子供に原作本を読ませ、準備万端の筈でした・・・(日本語字幕も吹き替え版もないので。)
が、爆弾テロ騒ぎで、人の多く集まる所への出入りは極力控えているところです。
この分だと、近々来る予定のハリー・ポッターも行かれないかも・・・。
2本とも前々から楽しみにしていたのにすごく残念。
デリーにはあまり「娯楽」がない上に、実は私はジョニー・デップ好きなのでした・・・。
暫くは家でおとなしくDVD鑑賞の日々が続きそうです。